死後のことを考えるといつも空恐ろしかった。
考えるたび、暗闇の底に落ちて行くような感覚を毎回味わった。
ー死んだらどうなるのだろう?一生目を覚さないということ?
眠るとき、意識が遠くなって、目が覚めたとき「ああ寝ていたんだ」とか「もう朝だ、起きなくちゃ」と思うけれど
寝ているときは意識がない。意識がないという意識すらない。ずっとそういう状態になるということ?
じゃあ、いまのこの自分ってなんなんだろう?いっぱい悩んで精一杯生きているけれど、この生活って何のためにあるんだろう?
小さい頃は定期的にこんな考えに捉われ、安心したくて、母に死んだらどうなるのか聞いたりした。
母はいつも、天国に行くでもなく、ただ眠っているときのように意識がない状態になるんだと思うと言った。
私はいつもその言葉を聞くたび、かなしくなった。
天国に行くんだよという答えだけを求めていたから。
綺麗事で良いからそう言ってほしかった。
時々真実よりも優しい嘘を、わかっていても、求めている時もあるけれど
「優しさだけじゃ人は愛せないから 慰めてあげられない」って甲本ヒロトさんも歌ってたし
桜井さんは「優しさだけじゃ生きられない 別れを選んだ人もいる」って言っていた。
本当のことを伝えてもらった方がありがたいことも、逆に自分が相手のためにそうしたいこともあって
正解なんてきっとないけれど
その選択の好みが近いひとと「波長が合う」とか「居心地が良い」って感じるのかもしれない。
今でもたまに、死後のことについて考えては、ひゅーと身が縮まる思いがする。
大きな宇宙の小さな小さな惑星にいる自分を遠くから俯瞰しているような気持ちになる。
魂がぎゅっと締め付けられているような、くらくらと眩暈がするような、そんな気分。
こんなふうに小さな小さな人間がたくさんいて、それぞれに生活を、人生を送っていて
みんなにドラマがあり、繋がりがあって
だけどたった数十年でその営みも終わる。そして気がつけば違う場所でまた新たなストーリーが始まっていて、それが繰り返されていることの不思議を考える。
「私たちは遺伝子を運ぶ入れ物に過ぎない」
これは村上春樹だったか、なんだったかで読んだフレーズだと記憶しているけれど
なるほど確かにと思ったりして
また藤井風もこんなこと歌っていたなと思ったり
実際のところの私たちの役割とは何なんだろう。
-こんなことを考えている私と、
いつのまにかコンビニのatmの手数料が平日でもかかるようになっていることに気が付き
有料化されてから何回利用し、何円無駄にしたのかを、記憶を必死に遡って計算している私と
同一人物という複雑さ。
これはこれ、それはそれというはなしで
人並みに生活を営むって大変だ。
ぼんやりと、でもかなりのスピードで
目紛しく変わってゆく思考。
それを忘れないように、また文章に起こすことの訓練を続けてゆきたい。
〜〜〜〜〜〜〜
・the blue heartsの歌はこれです。小学生の時よく聴いたなあ。
言わずと知れた名曲だけど、意外とちゃんと最後まで歌える人って少ないんではなかろうか。
・藤井風
ロンリーラプソディ、まさしく。
また暗なblogを更新してしまった、けれど
明るい文章よりも暗いほうが自分の合っているような気もするね。
ここまで読んでくれた人がいたら、本当にいつも有難う。