苦しさと成長の関係性

また面白いコンテンツを発見する。うれしい。

毎日を楽しく過ごす方法を、 大学生のころにやっと見つけられたと思う。

自分なりに日々を彩っていく。

 

 

自分らしさとか、

皆が目指すところではなくて、自分が目指したい場所を探したり、また決めることの難しさ。

他人とは違う、個性を求めている一方で、ひとと違うことに不安を覚えることもしばしばあり

正解はなく、すべては自分の気持ち次第、自己満足なんだと気が付いた。

 


大学生の一時期、とてもつらい時期があった。

そこから試行錯誤して、いまの自身の考え方や精神面が築き上げられて、

いまは毎日がとても過ごしやすくて、 快適だ。

 


あの時の自分に感謝したいし、

精神的苦しみは人間を成長させるといった言葉※1を思い出した。


涙の数だけ強くなれるよって、あながち間違いじゃないかもしれない。

 

 

もし私の年表を作るとしたら、その時期には確実に 「精神的大革命」 とか記されるくらい

見た目は変わらずとも、メンタルが一新された時期だったと思う。

 

 

思えば

前より泣くことが少なくなった。

父のことも、飼っていた猫のことも、月日が経ちあまり思い出さなくなったからかもしれない。

猫の月命日には花を買っていたが、だんだん買い忘れることが増えてきた。

 


こうやってどんどん記憶の彼方へ忘れ去られていく。

大事な思い出も、絶対に忘れないと大切にしていたことも。

 


良い意味でも悪い意味でも、「過去の自分に裏切られながら生きていく」んだという言葉を思い出す。

 


時は残酷なほど全てを洗い流してくれるって、桜井さんも歌っていたね。※2

 


もしいまどん底だと思っているなら、もうそれ以上落ちることはなく、あとは這い上がるだけなんだって思うようにしている。

 

 

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弊社内ではよく勉強会や、スピーカーを招いてお話を伺う機会があるのだが

先日のスーパーエリートのお話にも

「苦しい時というのはターニングポイントでもあり、そこを乗り越えると道が開ける」と言ったような内容があった。

 

聞いているときは、ふんふんと思っていても

実際自分が苦しい境地から抜け出し、振り返ってみなければ

この言葉の真の意味はわからないだろうと思う。

 

百間は一見に如かずというように、見聞きしただけでは物事の本質はわからなくて

結局経験が全てなのではないかという気がする。

(もちろん、聞いたり読んだりして予備知識を蓄えておくことは、後学のためにとても大切だけれど。)

 

「若い頃の苦労は買ってでもしろ」

これも全然間違いではないだろうと思ったり

「歴史から学ぶ」、けれども「歴史は繰り返す」。

この言葉の意味を考える。

 

やっぱり自身が経験し、痛い目を見ないと学べないこともあるよなあと

今までの数多のお高くついた「勉強代」を思い返す。

 

 

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初めてblogを投稿してからちょうど1年が経ちました。

書くのは好きだけど、いつも思うように書けなくて、

納得いっていないものをアップするのもなんだかなあという気持ちもあるけれど

練習の場と思って、また書きぶりなどにも色々チャレンジしてみながら

引き続き更新していきたいです。

(ちなみに先月のblogの後半部分を加筆してみました、よかったら見てみてね。)

 

本来は、Instagramで少しだけ書いていた、父のことに関する私的な文章投稿を

ここにまとめたいと思っていたのだけれど

記事ごとに公開範囲を設定できないらしく

(blog全体が非公開=パスワードを入力しないと閲覧できないになってしまう)

どうしようか悩んでいるところ。

特に知人以外読んでいる人もいないと思うので、全体公開でも構わないんだけどね。

 

 

いつも拙い文章を読んでくれて本当に有り難う!

 

※1

「幸福は身体にとってはためになる。しかし、精神の力を発達させるものは悲しみだ。
Happiness is beneficial for the body, but it is grief that develops the powers of the mind.」

マルセル・プルースト(フランスの作家 / 1871~1922)

 

※2